こんにちは。Karuta Clubのゆか先生です。
競技かるた名人位になり夢を叶えた川瀬部長の経験をお伝えする記事の第四弾。
今回は小学生時代の大きな試練とやめさせようか悩んだお話です。
夢に向かって頑張っている方・子どもが習い事をしている保護者の方向けの記事です。
- 子どもが名人位までたどり着けた理由が少しわかります
- 子どもが大きな壁にぶち当たった時に私がどう対処したかわかります
名人になれた理由〜小学生編〜
小学生時代を振り返り、考えられる理由は3つ。
- 自分で考えて練習をしたから
- ライバルがいたから
- 夢を公言したから
1 .自分で考えて練習をしたから
「先生の子だから名人になれたんでしょ」
まだそう勘違いしている方がいるかもしれません。
前回の「第三弾記事」でお伝えしたように、わたしたち親子は愛知県かるた協会に入会した時がはじめての「競技かるた」でした。
ルールも少しずつ練習の中で学びました。
その時教えていただいたルールは、下の記事で触れています。
気になる方はご覧ください。
月1の練習では試合を2試合するぐらい。
会員さんに聞けば、基本は教えてくれますが…素人にはよくわからない。
でも、いま思うとそれが良かったのかもしれません。
なぜなら、自分でよく考えたから!
やらされるのではなく、
「こうしたら上手くなるのでは?」
自主的に取り組んできた姿勢がKaruta Clubにもつながっているようです。
最初に取り組んだのは自陣定位置決め。
その時のようすは下の記事で紹介しています。
気になる方は参考までに読んでみてください。
あくまでも、自分で考えることが大切ですよ。
2 . ライバルがいたから
はじめて全国大会で優勝したのは「第25回全国小・中学生かるた競技福井大会」小学1年以下の部。
ところが、次の年からなかなか勝たせてもらえません。
最強のライバルの出現です。
小中学生選手権でもいつも顔を合わせ、悔しい思いをしてきました。
そのおかげもあり、「次こそは!」とがんばることができました。
ライバルの存在は大きい!感謝です。
長い目で見ると追いかける側でよかったのかも?
3 . 夢を公言したから
「第28回全国小・中学生かるた選手権福井大会」小学5年生の部で再び優勝。
テレビ・ラジオ・新聞などの取材がたくさん来るようになりました。
インタビュアーは最後の締めに、必ずこう聞いてきます。
「夢は何ですか?」
将義の口から「名人です」と言わせたい空気感。
恐れ多くて考えたこともなかったのに…。
でも、将義は言いました。
「名人になることです。」
言ったからにはがんばらないといけないし、その気になってくるものなのですね。
わたしクイーンになる!
いいですね👍
「KarutaClub見てました!」という子がクイーンになってくれたら最高です♪
かるたをやめそうになった時〜小学生編〜
小学生時代の試練は2つ。
わたしが実際にした対処法とセットでお伝えしますね。
過去記事の気をつけるポイントを思い出しながらお読みください。
2つの大きな試練〜小学生編〜
- 小学校に競技かるたを知る友だちがいなかった
- 「死にたい」と言いだした
①小学校に競技かるたを知る友だちがいなかった
幼稚園の時と同じ悩みが小学校でも。
ある日、
「かるたで全国優勝なんて大したことない!って言われた…」
と、学校からしょげて帰ってきました。
愛知県は競技かるたは盛んではなく、『ちはやふる』もまだない時代。
一般的な「いろはかるた」と勘違いしたのでしょうね。
(一般的なかるたでも全国優勝はすごいと思いますが)
そこで、わたしは以下の2つの対応をしました。
【対処法1】弟と競技かるたをする
競技かるたの話や練習は、家で弟とすることにしました。
後に将義がインタビューで、
「弟が競技かるたをしてくれたのは、大きかった。」
と語っていました。
県外にライバルはいましたし、「やめる」とは言わなかったのが救いでした。
【対処法2】友達に教えることにした
「知立かるた大会」開催決定を機に、風向きが変わってきました。
5年生の川瀬部長は友達にかるたを教えることにしたのです。
「みんなやりたがらないのでは?」
「楽しく覚えるには?」
…と考えた方法が、KarutaClubの「イメージで覚える決まり字」です。
わたしも弟も手伝って、毎日札を教える日々が続きました。
友達が友達を呼び、10人ぐらいは家に来ていたでしょう。
かるた仲間がやっとできて本当にうれしかったです。
初期メンバーと知立大会関係者には感謝しかありません。
ありがとうございました。
わたしの教室は川瀬部長が小5の時に作りました。
やりたいという子がつながって、まだ続いています。
②「死にたい」と言いだした
「え?順調そうなのに…?」
って思いますよね。
確かに、順調すぎて怖いほどうまく回っていました。
しかし、「第9回全国かるた愛知大会」B級クラス出場に向けてがんばって練習をしていた時のこと。
大会当日にはテレビ取材の予定。
競技かるた普及のために、本人も快諾していました。
日が近づいてくると練習がうまくいかないのか、思った取りができないのか。
急にこう言い出しました。
「死にたい。」
この時は驚きました。
小学生の口から「死にたい。」だなんて!
ただごとではないと感じたので、わたしは言いました。
「死にたいと思ってまでやることではない!もうやめよう。」
こんな思いをさせていたのか、そんな重荷を背負わせていたのか…。
いたたまれない気持ちになりました。
そんなわたしがした対応は以下の2つです。
【対処法1】落ち着くまで待つ
わたしの方が動揺してしまい、冷静に考えることができなくなっていました。
いったん落ち着いて考えてみました。
「死にたい」=「消えたい」=「逃げたい」
では、なぜ「逃げたい」のか?
テレビの撮影まで来て負けたら恥ずかしいから?
いやいや、小学生が大人に混じってB級で試合するんです。
出場するだけで立派でしょう。
「やめる」=「逃げる」
あの子に何が残るのか?
解放されて元気になる?
逃げた自分への罪悪感しか残らないのでは?
…と考えられるようになりました。
【対処法2】逃げ道を作っておく
「死にたい」とまで言った子を、どう説得しようか悩みました。
応援していたつもりが重圧をかけていたのは事実。
なので、大会後に「やめたい」と言ったらやめさせようと腹をくくりました。
「テレビ局の人との約束を投げ出すわけにはいかないから、取材は受けよう。
それで、この大会で最後にしよう。
最後だと思って練習の成果を出し切って終わりにしよう。」
大会後はやめられるという逃げ道を作って話をしてみました。
すると、吹っ切れたようすで練習に励みだしました。
当日なんと優勝!
A級へ昇級!
「生きててよかった!」
と満面の笑み^^
試合途中のインタビューでは「自分の取りをするだけです!」
と名人戦を彷彿とさせる受け答えをしていました♪
母親としての反省
子どもに「死にたい」と言わせる親はダメ親。
反省しかありません。
結果うまくいったから助かっただけ…。
将義は「次はA級一回戦突破!」と張り切っていましたが、わたしはこの経験は忘れてはいけないと肝に銘じていました。
夢の応援はするけど、なるべくプレッシャーにならないようにしなければ…。
きつい一言でしたが、
「死にたい。」
とあの時言ってくれてよかったとも思います。
つらさに気づいてあげられなかったから。
みなさんはわたしみたいならないように。
気づけるようによく見ていてあげてくださいね。
修学旅行で作った湯のみ。
周囲では「お土産で売っていたら買いたい!」と評判でした。
…が、何か違う???
おわりに
今回は小学生時代を振り返っての経験談でした。
大なり小なり、勉強・部活動・仕事でもぶつかる悩みですよね。
正解だとは言いませんが、困った時の支えになれたら幸いです。
次回、川瀬部長も思春期突入ー試練は続くよどこまでもー。
乞うご期待!